スキンケアの投資:どれだけあれば十分?
「投資」の意味を考える
「スキンケアの投資:どれだけあれば十分?」という問いに答えようとすると、まず頭に浮かぶのは「スキンケアにどれだけお金をかければ良いのか」ということではないでしょうか。
化粧品会社が様々な広告を通して私達に提案してくれる商品はとても魅力的で、しかもどれもこれも自分に必要に思えてしまうから大変な支出になります。
エステティック・サロンにしてもそうです。最新の機械、スキンケア商品、施術法を駆使して私たちの肌を綺麗にする、と約束してくれるので、高額でもつい試してみようかという気になります。
なので「どれだけあれば十分?」と聞かれれば、「きりがない」と言いたくなりますよね。でもふと立ち止まって、「投資」の意味を考えると、必ずしも金銭的なものに限定しなくても良いことに気が付きます。
自分の肌に合った手入れの方法を研究する好奇心と時間、毎日のケアにかける手間と根気、そのようなものも投(じる)資(源)だと言えるのではないでしょうか。
お金を掛ける=他人に頼るスキンケア
かく言う私も還暦を迎えて、ようやくこのような考え方に至っているのであって、もっと若い頃はお金をかけることで満足していた感があります。高いスキンケア商品を買ったり、エステサロンに通ったりすると、それだけで何となく安心感が得られる。そして豊かな気分を味わえるのです。
しかしそれは化粧品やエステティシャンの手に自分の肌の手入れを委ねてしまっていた、ということにもなります。それではいつまでも続くはずがありません。
まずエステに関して言えば、金銭的な負担はもとよりよっぽど時間に余裕がないと長続きしない、というのが私の経験です。施術だけではなく、前後に時間が掛かり過ぎてだんだん、しんどくなって来るのです。
そして高価な化粧品。これは誰しもが気を付けなければ陥ってしまう罠なのですが、空港の免税店やデパートの化粧品売り場で言葉巧みにセールスのお姉さんに勧められて、つい一式買い込んでしまう。どうしてああいう場面で人間は太っ腹になってしまうのでしょうね。
確かにスイスやフランスのトップブランドの化粧品は、使い心地が悪くありません。でもだからと言って自分の肌が劇的に綺麗になるわけではない。しかも使い続けることでどんどん効果が出て来るのかと聞かれると、値段の割にはそうとも言えない。
そんなことを繰り返していた私ですが、ある時、自分なりにけっこう大きな発見をしたのです。それは某メーカーの「お試しセット」を使ったことがきっかけでした。
リーズナブル+自己管理のスキンケア
3日分のお肌の手入れをするために、小分けした化粧水や保湿剤などが分かりやすくセットになっていたのですが、その一つ一つの包みに入っている商品の量がかなり多い。説明書に書いてある通りに鏡の前で時間をかけて朝晩のスキンケアをするとあら不思議、3日目には確かに肌が見違えるほどみずみずしい状態になったのです。
ではその後、私がその化粧品のシリーズを本購入したかと言えば、答えは否、です。私は海外に住んでいるので日本製のそれらが手に入りにくかったのが主な理由ですが、ちょっと「実験」を続けたくなったのでした。
近所のドラッグストアに行って、ごく手ごろなスキンケア商品を揃え、今まで自分が「適量」と思っていたものよりも多めに使って毎日の手入れを始めたのです。そしてお試しセットにも含まれていた「洗顔」のステップもいつもより入念にやるようにしました。
自分の気に入る化粧品のブランドに行き当たるまで試行錯誤はありましたが、選ぶ際に「価格がリーズナブルである」という点は譲りませんでした。あまり負担に思わずに使い続けることができる、ということを大切にしたかったので。
ということで長年、化粧品やスキンケアにかなりのお金を投じて来た私が行きあたった学びは「他力本願より自己管理」が大事だ、ということです。他人に頼る、とはつまり商品やサービスを外から買い入れなければ手に入らないもの。それよりも自分で出来ることを根気よく続ける方が最終的に効果は得られる、と思うに至ったわけです。
私の紫外線対策(失敗)の歴史
と、ここまで書いて懺悔しなければならないのですが、私は本当にごく最近まで、そう、10年ほど前まで非常に重要なスキンケアのステップを怠って来ていました。それが紫外線対策です。
世の中は不公平なもので、シミの全くない、美しい肌をした人がいたりします。もちろん、その美しさは持ち主の日々の努力の賜物でもあるのでしょうが、私などは遺伝的に色素沈着しやすいような肌に生まれついています。そのくせ、長年お日様に当たりながらも日焼け止めをこまめに塗るということをして来なかったのです。
言い訳をしようと思えば幾つか挙げられます。
私は中学二年生までフランスで育っているのですが、その頃のフランス人は夏のバカンス明けに「誰が一番、日焼けをしているか」でその人のステータスを決めるような習慣がありました(肌が白いままであると、夏休み中、どこにも旅行に行けなかった証拠になるから)。なので私にとって肌は焼きこそすれ、紫外線から守るものではなかったのです。
さらに私が大学生の頃は、日本でも「日焼けしていることがカッコいい」とされた時代でした。どこの化粧品会社の夏のキャンペーンも「小麦色の肌を誇示して、海辺を走るビキニ姿の若い女性」がお決まりのテーマであったように記憶しています。なので私もそれに習って、夏になると友人たちとせっせと日焼けに勤しんでいました。
スキー部に所属していた私はさらに冬のゲレンデで大量の紫外線を浴びていたのですから、暑い季節も寒い季節も肌を酷使していたことになります。
ところがもともと日本では「肌の白きは七難かくす」という伝統があるので、日焼けブームはやがて廃れていく運命だったのです。1990年のはじめにはまた皆が「美白」を良しとするようになったのですが、奇しくもそれは私がカナダに留学するためにまた日本を離れた後だったので、またしても私は日焼け止めの効能を学ぶ機会を逸したわけです。
ではカナダの人々は日焼けに対してどういった意識を持っているのか、ということが疑問として挙がって来るかも知れません。
カナダに来て間もなく、私の夫となるべきカナダ人の男性とゴルフ場に行った時のことです。私にとってはあまり大した日光であったように思われなかったにも関わらず「もうだめだ、こんなに長時間、日に当たったら体に悪い」と彼に言われて驚いたのを憶えています。
ちなみに夫はいわゆる「白人」で、肌の色はすこぶる薄く、目もグリーンです。強い陽当たりにさらされると肌はたちまち赤くなり、日焼けせずにただ「痛い」状態になるようでした。
そう言われてみると、確かにカナダ人の子どもは小さい頃からプール遊びをする時もTシャツを着せられるし、遠足の持ち物リストには必ず帽子と日焼け止めクリームが含まれています。
しかし日本で(特に女性の)「白い肌」が珍重されるのとはちょっとニュアンスが違い、こちらの人はさほど「シミが一つもない」ことに拘っているわけではなさそうです。あくまでも日焼け止めを塗るのは肌を強い日差しから守るため、そして究極的には「皮膚がんにかからないため」という医学的な理由に基づいている気がします。
そこでまた、肌を焼いてもあまりダメージを受けない(と思っていた)私は、日焼け止めを塗らなくても大丈夫だと油断してしまったのでした。
もちろん、SPFの数値が高い下地クリームやファンデーションが好ましいという知識はあったのですが、ちょっと外でガーデニングをする時、あるいは犬の散歩に出る時、に気を付けて日焼け止めをしっかり塗っておくことはしていなかったのです。
言うまでもなく、これは大きな間違いでした。
さすがに10年ほど前からシミがやたら増えたのにちょっと慌て、皮膚科を訪ねましたが時すでに遅し。せめてこれ以上ひどくならないようにしなさい、とお医者さんに言われました。それからSPF50のクリームを玄関わきに置いて、外に出る時は必ず着けるようにしています。
過去から学び、将来を見据えた投資を
私のこういった紫外線対策の失敗談をあえてお話ししているのは、冒頭の「投資」と全く無関係ではありません。お金や時間や労力を何かのために投資する場合、どれだけ先のことを念頭に置いているのか、を考える必要があります。
ほどなく効果が表れることを期待しているのか、数年後に実を結べば良いと思っているのか、それとももっと長いスパンを見据えて利益が返ってくるのを待つのか。それによって今、自分がすべきことが変わってくるように思います。
結論になりますが、この年になってようやく実行していることをもっともっと若い時からしていれば良かった、ということに尽きます。すなわち、自分の肌を末永く健康で(そこそこ)綺麗に保とうと思うのであれば、ごくシンプルな洗顔・保湿・紫外線対策のステップをコツコツと毎日繰り返すこと。
何十年も続くプロセスであると考えれば投資するお金はその年月に比例してずっと積もって行くわけですから、それを一気に若い頃に使うのか、それとももっと長く継続して使えるように小出しにしていくのか、考えなければいけません。
このような書いていると、スキンケアに限らず、生活全般に当てはまる考え方だとも言えますよね。手っ取り早く外から買ったり、他人にしてもらったりするばかりで、自分自身が真面目に取り組まなければ、効果が出るものって実はあんまりないのではないかと思います。
英語の表現に “Today is the youngest you’ll ever be”というものがあるように、とにかく何かを変えよう、改善しようと思ったら「今日よりも早い日はない」。過去を振り返って悔いてもどうにもならないので、私は十年後、二十年後の自分のお肌に思いを馳せつつ、せっせと日焼け止めを塗って行こうと思います。
皆様も未来のご自分とご自分のお肌のために、どうか最善の投資とは何かを考え、実行なさってください。
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ライタープロフィール
嘉納もも・ポドルスキー Momo Kano Podolsky
社会学博士。日本とカナダの大学で教え、トロント大学マンク国際研究所のエスニシティ研究課程事務局長を2020年まで務める。現在はフリーのライター・通訳・翻訳家として国際映画祭、スポーツイベント等、幅広く活躍。 父親の駐在により3才でイギリスに渡航、4才から15才までフランスで育つ。約40年に及ぶ欧米生活経験で培った広い視野をもち、日本語、英語、仏語を自由に操る。現在はカナダ人の夫とトロント市郊外在住。