「クリスマス・ギフトを贈る意味」について考えてみた
これからクリスマス・シーズンに向けて、私が長年暮らした三つの国(日本・フランス・カナダ)での体験を元に記事を書いていく予定ですが、今回は特に「クリスマス・ギフト」のトピックに焦点を当てたいと思います。
我が家の「クリスマス・プレゼント史」
私が初めてカナダで夫の実家でクリスマスのプレゼント交換に出席した時、「何と大仕掛けなイベントだろう」と驚いたのを憶えています。
夫には4人の兄弟姉妹がいますが、小さい頃のクリスマスはとても質素だったそうです。しかしそれから30年近くが過ぎ、世の中はすっかり商業主義が進んでいました。12月を待たずにテレビで流れるコマーシャル、ショッピング・センターや百貨店の煽り文句に乗せられて、人々は必死でクリスマス・ギフトを買い求めるようになっていたのです。
その頃の義母は毎年、自分の子どもたちとその配偶者、そして孫たちにプレゼントを揃えるために生半可ではないエネルギーを注いでいました。リビングには色とりどりのラッピングが施されたプレゼントがツリーの下と言わずそこら中に積まれていて、その一つ一つにネーム・タッグや手作りのカードが付けられていました。「ここまでしないといけないのか」というプレッシャーをうっすらと感じさせられました。
その後、夫と私にも二人の息子が生まれ、我が家なりのクリスマスの習慣が築かれて行きました。ただし、自然と夫の実家の伝統を多く踏襲していたため、義母に習って家族・親戚全員分のプレゼントを用意することがクリスマスの「課題」のように感じられていました。
その上もちろん、息子たちのリクエストに応えることもしなければなりません。
我が家のクリスマス・ツリー。ツリーの下にプレゼントを置くのがお決まりです。
1990年代には、カナダの子どもであれば誰もが知っているSEARS(元はアメリカのデパート)の
「Christmas Wish Book」というものがありました。要は分厚い通販用のカタログですが、それが11月末ごろに家に届くと、息子たちは嬉々としてページをめくり、欲しい物をリストアップして行くのです。
いちばん値の張るものは「サンタさんにおねだりしよう」という決まりだったので、買って来てもクリスマスの前夜遅くまでどこかに隠しておくことになります。でもそれまでツリーの下に幾つかプレゼントを置いておかないと「何となく格好がつかない」という強迫観念に駆られる。そしてSEARSのカタログに載っていた、どう見ても安物ですぐに壊れてしまいそうなオモチャをせがまれるがままに取り寄せてしまうようになっていたのです。
しかし長男がまだ小学校低学年だったある年、誰が言い出したのか「もう親戚同士でプレゼント交換するのを止めよう」という新しい約束事が出来上がりました。義父母からのプレゼントも「孫の代だけ」(それまで義母は一生懸命、私達の代にまで贈り物を買い続けていてくれたのです)。
それに伴って、我が家でも息子たちへのプレゼントの数をなるべく絞ることにしました。サンタクロースの存在を信じている間はまだしも、親からもらうプレゼントは一つで良い。お祖父ちゃんやお祖母ちゃんたちからももらうのだし、クリスマスだからと言って欲しくもない物を買い与えても大事にするわけがない。
クリスマスの朝、プレゼントを開けた後に散乱した夥しいラッピングの残骸を片付けながら、「これで良いんだろうか」とずっと募っていたモヤモヤ感がそれで随分と解決できました。
クリスマス・プレゼントを贈る意味
時に初心に帰って物事の意味や意義を考えることは必要だと思います。
「昔は素朴で良かった」と言うだけであれば単なる懐古趣味になってしまいますが、それよりも「クリスマス・プレゼント」というもののエッセンスを捉える作業が大事だ、と言いたいのです。
20人もの大人や子どもたちのためにプレゼントを買い、それにラッピングをしてカードを添え、家まで届ける、ということをクリスマスの度にやっていた時代。「とにかく数を揃える」というプレッシャーに追われて、何故それをやっているのかを考える余裕がありませんでした。
夫や子供たちへのプレゼントに関してもしかり。去年と同じものはダメ、ギフトの数や価格帯はこれで良いだろうか、兄弟同士で不公平感が生じないだろうか、などと考えるだけで疲れていました。プレゼントを贈ることが苦痛に感じられるとなると、本末転倒です。
単純に考えれば、「値の張る」プレゼントを「短期間にたくさん」買わなければいけないのはシンドイ。経済的にも、心理的にも大きな負担です。それをクリスマスだから、と自らに課していたのです。
そこで我が家では息子たちが高校生になった頃から、高価な贈り物は年に一度、と何となく決まりました。タイミングはさほど重要ではなく、たまたま誕生日やクリスマスに重なればそれで良し、そうでなければその人が本当に欲しい、と思った時点で買うようになりました。
授業のためにノートパソコンが必要になった、新しいゲーム機が出た、ロードバイクを新調したい、性能の良いカメラの付いたスマホが欲しい、などといった場合がそれにあたります。
一方、クリスマス・シーズンにプレゼント交換をするのはそれなりに意味があるのも確かです。それをここ数年、再認識するようになったのは夫の姉と妹が始めた新たな「伝統」がきっかけです。
6年ほど前からでしょうか、12月の三週目辺りになると義姉と義妹が連れ立って、家まで夫にプレゼントを持って来てくれるようになりました。
最初の年は、二人がクリスマス・ショッピングに行ったついでに見つけた「トースト用のトング」。いかにもチャチで、トースターの側面にマグネットで貼っておくのもはばかられるような代物でした。
”totally useless” (全く役に立たない)ギフト、『トースト用のトング』
戸惑う私たちを見て、義姉妹たちが「ほらね、”totally useless gift” でしょ?」と笑うので、やっとその真意が分かりました。
かつてコンピューターがまだ珍しかった時代、義母が大学生の息子(=夫)のために様々な(的外れな)「パソコン周辺機器」を買い与えては却下され、「また ”totally useless” (全く役に立たない)ギフト・シリーズが増えたわ」と、自虐的なジョークにしていたのです。
家族の思い出のひとコマとして語り継がれていたそのジョークを、義姉妹たちが夫へのクリスマス・プレゼントに込めて蘇らせたというわけです。
それ以降も彼女たちは夫のために毎年、二人で頭を捻って「今年は何にしよう」とそのシリーズを継続させるようになりました。そして苦笑しつつもちゃんと受け取る夫を見ては、本当に嬉しそうに笑うのです。
欲しいゲームやパソコンを必要な時に買ってもらう場合、その「物」自体を手に入れることに意義があります。
このシーズンになると、自然と家族のことを考えるようになる。皆で一緒に過ごした時間は全てが楽しかったわけではないけれど、今もこうやって昔話をしながら笑い合えるのはありがたいね。
プレゼントと共に、姉や妹からそんな想いが夫に届いているのだと思います。
一年に一度、改めて相手のことを考えて、お互い一緒に時間を過ごせることに感謝する。クリスマスに贈るプレゼントはそのような気持ちを運ぶ「器(うつわ)」なのだと考えれば、価格よりも大切になるのは渡す相手をいかに自分が想って選んだか、ではないでしょうか。
そこでここ数年、我が家で活躍するようになったのが「クリスマス・ストッキング」です。けれどもクリスマスに夫がもらう「役に立たないギフト」は、それとはちょっと違う。
クリスマス・ストッキングの活躍
我が家のクリスマス・ストッキング
日本ではあまり馴染みのない習慣だと思いますが、カナダではクリスマス前夜に一人一人が「クリスマス・ストッキング」を飾ることになっています。
サンタクロースは煙突を伝って家の中に下りて来るとされているので、就寝前に大きな靴下の形をした袋を暖炉の所定のフックにぶら下げる。するとクリスマスの朝にはその中に小さなプレゼントが詰まっている、という言い伝えがあるのですが、子どものための習慣として始まったものの、いつしか大人たちもストッキングを備えるようになりました。
ストッキングに入れるギフト類は「Stocking Stuffers(=ストッキングに詰めるもの)」と呼ばれ、通常は簡単で安価なものと決まっています。
夫たちの場合、義母はもっぱらキャンディーや果物のオレンジを子どもたちのストッキングに入れていたのですが、やがてオレンジの形をしたチョコレートに代わった時、非常に画期的なこととして喜ばれたそうです。
いずにれしてもストッキングの中身は普通、あまり期待されないのですが、私はあえて少し凝ったプレゼントを皆のために探すようになりました。
三年前、長男のお嫁さんのストッキングに入れたギフトがきっかけです。
クリスマスも近いある日、通販のサイトを何気なく検索しているとLEDライト付きの小さな鏡が目に留まりました。そう言えばメイクやスキンケアに関心の高い彼女が、しげしげと洗面所の鏡で自分の顔を覗き込んでいるのを良く見かけるなあ、と思い当たったからでしょう。
照明付きでコンパクトサイズの鏡であれば、手軽に持ち運べてどこでも肌や化粧の点検ができる。外側も光沢のある黒と銀、彼女の好きな色のコンビネーションです。決して高い物ではないけれど、きっと喜んでもらえるという自信がありました。「いつもあなたのことを気にかけていますよ」という私からのメッセージも伝わるだろう、と。
ふとした思い付きで、その鏡を彼女のストッキングに入れました。ツリーの下に置かれたプレゼントを見つけるのはもちろん嬉しい。でも思いがけず、ちょっと気の利いたギフトがストッキングに入っていれば、何だか得をした気分になるのではないかと考えたのです。
すると意外性も手伝ってか、家族中のその年のクリスマス・ギフトの中で、お嫁さんのために贈った鏡が最大のヒットとなったのです。
以来、それぞれのストッキングの持ち主に合わせて、細々としたギフトを考えるのが楽しみになりました。今のところ「当たり」が多く、打率は上々です。
我が家では愛犬にもちゃんとストッキングがあって、クリスマスの朝、そこにオモチャが入っているのを知っています。
最後になりますが、クリスマスは子どもに「贈る喜び」を教えるのに格好の機会です。親から与えるばかりではなく、あるいは「あなたが良い子でいてくれればそれで十分」などと言うのではなく、それこそストッキング・スタッファーのように気軽なギフトを選ばせて、受け取ってあげるのも愛情だと思います。
ちなみに私のクリスマス・ストッキングには息子たちから贈られたワインが詰まっていることが多いです。母親の好きなものをちゃんと知っている、という証拠でしょう。
もちろん、有難く受け取っています!
ライタープロフィール
嘉納もも・ポドルスキー Momo Kano Podolsky
社会学博士。日本とカナダの大学で教え、トロント大学マンク国際研究所のエスニシティ研究課程事務局長を2020年まで務める。現在はフリーのライター・通訳・翻訳家として国際映画祭、スポーツイベント等、幅広く活躍。
父親の駐在により3才でイギリスに渡航、4才から15才までフランスで育つ。約40年に及ぶ欧米生活経験で培った広い視野をもち、日本語、英語、仏語を自由に操る。現在はカナダ人の夫とトロント市郊外在住。
スチームクリームのクリスマスにおすすめギフト
※すべて数量限定のため、なくなり次第終了となります